フレッシュルーム コラム

●旧 としよりの日。
◆敬老の日ともいった15日の第三月曜日。
 旧敬老の日でもある15日、9月1日時点で、国内の100歳以上の高齢者は
 女性では、8万7784人
 男性では、1万1979人
 計99763人 前年比4644人増 55年連続で最多。
 国内の最高齢は、女性 114歳 賀川滋子さん 奈良県大和郡山市
 男性の最高齢は 111歳 水野清隆さん 静岡県磐田市

 いつぞやに耳にしてた、どこのおじいさんやろかぁ〜といった
 相手は知った感じで、不意に声を掛けてこられたその方が
 なんと、若き頃に小学校で担任を受け持ってた教え子さんだったという。
 当然口には出されなかったものの
 教え子さんを、おじいちゃん呼ばわりしてしまっちゃうその元気、
 さすがやなぁ〜の一言。

 別の方では、当初の予定が少しずれ込み、暇を持て余す事となってしまってたらしい、
 ある知ったご年輩の方に、その娘さんが、
 「これが全問正解したなら、お小遣い」みたいな事を言った途端、

 まぁ〜何とも見事にテンションが変わっちゃってたそうでして、
 「今頃、一生懸命に解いてるよ」といった、
 容易にその光景が想像できてしまう、その娘さんの状況説明なんかにも、
 笑みを零させてもらっちゃってましたけどねぇ〜。

 そんなこんなで
 前日の十四日に公表されてた65歳以上の高齢者数の推計人口は
 男性、1568万人
 女性、2051万人
 計3619万人とのことでしたねぇ〜。
(2025.09.15)

●傍観ズ ハイ。
◆宇宙の日ともいった12日の金曜日。
・浮かぶ笑み 人知及ばぬ 天体談 ってな
 マラソンの日でもあればの、周回を重ねる天体たちに何を思うというかで
 いつ頃からだったか、情報合戦等々で面白味も感じさせてもらえてる
 マラソンや駅伝の中継が始まると
 自分は頑張れないが、人が頑張ってる姿を見るのが好きといった理由で
 座り込んで居間のテレビを占領してくる者へ
 こちらからは放送があってる事を口にはしないようにしてた、いつぞや光景。

 あの頃は、なんて事はなかったというかで
 小学時代までは、なんだかんだで参加してたというか
 させられちゃってたというかの、町内イベントの運動会でしたか。

 低学年の頃なんかには
 近所のおっちゃんらの気まぐれ思考で、マラソンに参加させられてしまい
 誰は誰といった具合で、自分たちとその近所のおっちゃんらがペアを組んで

 形としては、即席の保護者といった感じで
 数キロのマラソンに参加させられちゃってたのは。

 そして、とにもかくにも印象に残るのは
 最後尾から会場を出て、先頭で帰って来るのが、どうのこうのと言った
 1人のおっちゃんの気まぐれ美学に付き合わさせられてしまい

 一先ずの会場内のトラック1周を
 最後尾から周囲のテントに向けて手を振らさせられ
 自分なんかは、コースの序盤か中盤辺りで、あまりの楽々ペースに
 保護者役のおっちゃんを、見事に置き去りにしちゃってたというようなわけで

 参加者それぞれに記録が残せるといった、大会運営側の試みに
 いざ会場に戻って来てみれば、ゴール地点は、レジ待ちといった大行列。

 それゆえ、どの列に並んでたかで、順位もタイムも変わっちゃってたと言う
 改めて思い返せば、企画者さんの胸中をお察ししちゃえる
 呼吸も整うゴール前でしたっけ〜。

 そして、年を少しばかり重ねた中学の体育時
 校外でのマラソンコースなんかじゃ
 気の合う連中で最後尾を満喫してたらば
 ふと気付くと、背後に車に乗った体育教師ってな具合で
 聞けば、近道しないかと監視されちゃってたという
 団欒ラン。

 社会人になって走ったといえば
 遅刻しそうになった際の朝の通勤時等々に
 最寄の駅までの1キロ少々を、足がもつれながらも
 しかたなく何度か走ったぐらいという
 自身としては、長距離にしろ短距離にしろ
 走るという事とはとても縁遠い、一先ず傍観者といったところでしょうか。

 そんなこんなのこの12日
 「落として割ってしまうがぁ〜」といった
 厄除けおはじき、「あたしが持つぅ〜」、「ぼくが持つぅ〜」ってな
 案の定取り上げられる幼い子たちの
 思わずくすっ っといった、光景なんてのは、どうだったんでしょうかで

 秋の訪れは何とやらも、日の出日の入り虫の音と
 いつ頃からかそれなりの季節は感じ始めてる
 万物の生命を慈しむ、筥崎宮の放生会の始まりも伝えられてきてましたねぇ〜。
(2025.09.12)

●一先ず。
◆国際識字デーともいった8日の月曜日。
・何かしらが意識にある中で何かしらを耳にすると
 時折その似たフレーズの単語が見事に影響され
 口には出さぬも実感する聞き違い。

 そして、新聞、雑誌、放送等で触れる、聞き慣れぬ片仮名、和声英語へ
 何を閃いたか、聞くだけの英語CDを聞き入り
 日本語の聞き取りの方に影響しちゃってた困ったさんから
 その時々の単語の意味を尋ねられれば
 いがいと曖昧にしか答えられなかった、今や聞かれる事もないここ暫く。

 いつぞやの、達筆すぎての解読談笑光景も懐かしめる中
 幼き頃の、からかわれ話として聞かされてたのが
 なんのこっちゃの五十音暗記自慢に腹を立て
 その家から帰宅するなり
 ちらしの裏だったかにその場で書いてもらった五十音表を壁にかけてもらい
 暫し黙り込んで、その平仮名たちとにらめっこしてたらしい
 全くもって印象に残ってないという、五十音初覚え。

 そして時は過ぎ、小学時代の上級生の頃だったか
 担任のお子さんの、覚えたて漢字、同音ひょっこり談だとか
 身近な人の、片仮名単語オリジナルフレーズなんかでも笑ってたらば

 自分なんかは、どこでどう勘違いしちゃってたんだかで
 片仮名の(サ)を、(き)が(キ)だからと
 縦棒が斜めといった横棒一本として憶え込み
 これは(ナ)って事かねぇと

 ある時、別の先生から
 自身の名前のフリガナを、不思議そうに尋ねられちゃってたという
 当時、片仮名の (サ)ってのはなんて読んでたんだろうかともいった
 ほにゃらららぁ〜。

 そんなこんなで
 この8日未明、国内では、2022年 11月8日夜の
 皆既月食と天王星の惑星職 442年ぶり以来という
 皆既月食が約3年ぶりに観察されてたようで
 前日7日夜には、セ・リーグ 阪神タイガースが
 プロ野球2リーグ制以降最速でのリーグ優勝も決めてましたねぇ〜。
(2025.09.08)

●撫で 撫で。
◆くしの日ともいった4日の木曜日。
・いつだったか、あげてたブラシ付きのドライヤーの使い勝手でも聞いてたらば
 「えぇ〜使いよらんとぉ〜」ってな具合で
 「あっちはそもそもドライヤーとかいらんやろうもん」、「しらんたあい」
 「あれでブラシ付けて、カッケッケッキって擦り付けよんしゃるけんが
  なんか一緒には使いたくないったい」ってのには
 思わず吹き出しちゃってたという
 「ほらほら〜」ってな洗面台での姿には
 なるほどなるほど〜ってな感じで、再び目を細めさせられちゃってたという
 いつぞやの、身嗜みというかの
 ブラッシング光景でしたもんねぇ〜。

 そんなこんなで
 一昨昨日の1日には、今年の梅雨入りと梅雨明けの確定値も公表され
 ここ九州北部地方では
 梅雨入り 5月16日ころ
 梅雨明け 6月27日ころとの事でしたねぇ〜。
(2025.09.04)

●9月ですねぇ〜。
◆ねんどの日ともいった長月の初日の月曜日。
 参観日陶芸でもほじほじというかで
 当時、同級の者の家に焼き物屋さんがいた事もあってか
 授業参観がらみで、陶芸ってものに初めて触れてたのは小学時代。

 そんなわけで、形はその授業参観日に作り
 後にその同級の焼き物屋さんへと押しかけ
 そこで、思い思いに絵付けして、仕上げてもらい
 ここで売るんならばこれ位とばかりに
 お遊びがてら、値段のシールまで張ってくれちゃってた参観日陶芸。

 陶芸と聞いた時にゃぁ〜、轆轤台ってものをイメージしちゃってたというか
 教室の机や椅子を前に押しやり、床に座り込んでの
 粘土こねこね、紐粘土積み重ね初心者方式だったわけで
 最初のなんかは、まあぁ〜イメージとは程遠い
 巨大な湯呑みが出来上がっちゃってましたっけかねぇ〜。

 まぁ〜そんなこんなで
 多少の慣れやら、粘土の残量というのもあっての
 徐々にサイズダウンってな3つの湯呑みが一先ず出来上がり
 花瓶にするにゃぁ〜背丈が足りないは

 どんぶり茶碗にも変更しようがないは
 新たな形に作り直すにも時間が足りないはの
 どうしたもんかの、その最初の巨大湯呑みでも眺め

 焼き上がったとしても、何に使うんってな具合で
 何気なく、その円形の飲み口を両手でしぼり
 三方の角が丸みを帯びたような、腹をすかせた三角形みたいな
 即席加工の、なんじゃろかぁを含めた3つを提出し

 暫く経ってからの押しかけ絵付けでは
 何かで目にしてた、水墨画の山みたいなデザインしか浮かばず
 その気になって満足してたらば、家の者からの、「こりゃなんねぇ〜」に
 連なる(ヘ)文字ってのをわざわざ説明するはめになっちゃってたわけで

 なるほどぉ〜とは程遠いリアクションでももらいつつ
 最初に作ってた、巨大湯呑み改め、なんじゃろかぁ〜が
 大きさもあってか、800円の値段がつけられてたという
 結果的には、ペンや定規などの、居間の文房具入れになってたわけでして

 150円やら、もうちょっとしてたように思う、安い方の2つの湯呑みを
 遊びに来てた流れから、もらってしまったじいちゃんなんかは
 自分たちが気成する度に苦笑いというか見慣れちゃってたというかで
 ずぅっとブラウン管テレビの上に、飾るはめになっちゃってたですもんねぇ〜。

 そんなこんなで、
8月の最終日ともなる、前日となる前月の31日には
 国内で最も遅い酷暑日の再びの記録更新とも、今年30回目の観測ともいう
 午後2時28分 愛知県名古屋市で40℃を観測。
 一昨日の30日には
 関東地方、東海地方の4地点でも
 この時点での 最も遅い40℃越えが観測されてましたよねぇ〜。
(2025.09.01)

●いつぞやの1コマ。
◆気象予報士の日とも言った28日の木曜日。
 天気予報も、テレビやラジオ、新聞やインターネット、又聞き話などから
 1日の中でも自然と何度と見聞きするご時世。

 その中の降水確率、何十パーセントなんてのは
 わかっちゃいるけど降水量に感じてしまえるわけで
 天気予報で耳にする「時々」や「一時」は
 24時間でいう
 6時間以上12時間未満が「時々」
 6時間未満は「一時」との事。

 暮らしの中で伝えられてきた、自然を観察して天気を予想する
 「観天望気」の何かしらは幾度か口にした記憶がありつつの
 授業の前に、体感での気温や湿度を、挨拶がてら必ず聞いてこられる
 生理学を担当されてあった名誉教授も思い出すわけで

 意識を傾けつづけていくと近づいていく数値に
 何かしらは感じつつもの、毎度毎度聞かれるもので
 クラスの者が「あぁ〜そうだぁ〜」と

 気温と湿度を下調べして、バッチリ返答しちゃってたもんですから
 「見たねぇ〜」と苦笑いされ
 その後は聞かれなくなってしまってたんでしたっけ。

 そんなこんなで
 前日の27日には、1952年に観測手法が国内で統一されてたという
 初霜、初氷の観測が今年の冬から終了とも伝えられれば
 一昨昨日の25日には、2017年8月から7年9ヶ月続いたという
 黒潮大蛇行が本年4月に終息してた事も伝えられてきてましたねぇ〜。
(2025.08.28)

●付け足し。
◆川柳発祥の日ともいった25日の月曜日。
・それらしき響きでも、さらぁ〜っというか、こってりというかで、
 ってなわけでの付け足し干支川柳。
 2025 新年
 うわばにや 春蚓秋蛇も 地上の絵
 がま口に 飲まれ手招く 弁天さん
 餅屋の餅 蛇の道は蛇 巳と小槌
 巳惚れられ 一切合財 這いつくし
 撫でられり 蜿蜒長蛇 あやかられ

 2024年 年の瀬
 ポージング 画竜点睛 しぼる汗
 竜宮の遣い ハトコにイトコ 席次表
 携えし 波にもまれし 流し樽
 杯中の 蛇影酔いしれ かりゆしや
 涸沢之蛇 琉球グラス 月浮かべ
 もぬけられ 談天彫竜 九頭竜や
 脱皮さす 藪から棒に 藪を突き
 登竜門 天翔龍 閃きて
 果ての月 竜の落とし子 置き土産
 龍の巣へ 天空の城 雲隠れ

 そんなこんなで
 一昨昨日の22日には、酒気帯び運転での摘発状況も伝えられ
 自転車運転時のルールが厳罰化された昨年の11月からこの5月末までに
 国内で4000件を越えてるそうで
 ここ福岡県が最も多い803件との話に
 一昔前の「今日は酒を飲むから自転車で行こう」ってな
 懐かしめる光景もありつつの複雑感といったところでしょうか。
(2025.08.25)

●一先ず。
◆俳句の日ともいった19日の火曜日。
・あれからは〜20数年経つお盆時期。
 初の四国入から初食事を、うどん屋さんで過ごし
 取りあえずと、道後温泉へとレンタカーを走らせ
 あまりの大行列に外観だけを眺めちゃってたという
 「今日はお宿の湯ってな事で、あれだったら明日また覗いてみようやぁ〜」と

 坊っちやんからくり時計や鷺石でも眺め
 その辺りの散策時なんかに
 「そこってさぁ〜、正岡子規の記念館って事〜」
 「正岡子規って、学生の頃に出てきたあの人やろう〜」。

 更に言えば、その館内なんかでは
 「へぇ〜、柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺って、正岡子規の句やったったいねぇ〜」
 まぁ〜そんなレベルでたちよってみてた子規記念博物館でしたっけ。

 そんな絡みでの 五 七 五 ってな具合で
 とある話を当時耳にしてたのは、20年程経ってからの事という
 いつだったかに、こさえてみてた一句が
 胃も噤む 戦後の行商 しおさんま

 戦時中は車の免許もあって食糧部隊へ配属。
 海外の現地では、缶詰工場が近くにあり食糧難は免れるも
 マラリアには一苦労させられ
 終戦後、暫くは仕事なく、塩漬けさんまの行商。

 なかなかに売れなかったらしく
 売れ残りの塩漬けさんまが自身の食事となり
 食べ過ぎて後に苦手な食材となり一切口にしなかったらしい事を
 歿後20年といった頃に初耳

 購入予定もないところに来られても困るってな、思い出す話が飛び交う中
 帰省時のその数日間には
 焼き魚がメニューとしてチョイスされる事が記憶の上ではなかったため
 耳にはしてたのかもしれないが、改めて思い返せばといったくらいの

 当時、サンマ漁だったかさんま祭りだったかのニュースへ
 ふと耳にしてた光景は記憶に残るというような中での
 一先ずの一句といったところでしょうか。

 もう一方の顔出し崎でのそれらしき響きでは
 米作り 戦地で指導 語る腰
 ラバウルに 兄弟の笑み 調達船
 大叔父ら 上官の手に 祖国踏む

 昭和 平成 令和と
 時より耳にしてきた、当人からは聞いたこともない又聞き話が
 いつだったかに、番組で知る似た話で
 自然と重ね合わせてた当時の情景でしたか。

 祖父 海軍 ラバウル島
 戦時中現地で米作りを指導。
 野菜関係は、現地にあったらしい本を参考にしたとのことで
 食糧難は回避。

 そして
 末っ子であったらしい大叔父 陸軍 ニューギニア
 上官に頼まれ、兄のいるラバウル島へ
 食糧をもらいによく顔をだしてたとのこと。

 終戦後に上官が遺骨を持ち帰り、新聞の広告に掲載。
 当時、家に新聞はなく
 後日、人伝にその存在を耳にするも捜しきれず。

 そんな話を耳にした際
 家の人たち、兄弟さんたちは
 なぜ新聞社に問い合わせなかったのだろうかとつぶやけば
 思いもつかなかったというような返答でしたっけかね。
(2025.08.19)

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