フレッシュルーム コラム

●もしもぉーし。
◆世界アマチュア無線の日ともいった18日の木曜日。
・中学時代には、同級の者が試験を受けるとかで、
 ハエ掴みを特技としてた数学の教員さんを、時より捕まえてたという、
 そんな光景ってのでもふと懐かしみつつ、

 改めて思っちゃいましたが、無線という単語の意味はしっくりくるものの、
 感じと音の響きの違和感に不思議さを感じちゃってるという、
 無線等の、これら技術を誰が考案されてたのかは知りませんが、
 すごいよなぁ〜としか言いようがないですもんねぇ〜。

 そんな中、自身の無線エピソードとして思い出すのが、
 小学時代に買ってもらってた、トランシーバーってなわけでして、
 どの程度使えてたかなんては定かじゃありませんが、

 警察泥棒みたいな遊びの中で使ってみたりだとか、
 タクシーが視界に入って来れば、伝わってるものだと思い込んで、
 姿を隠して呼び掛けてたりだとか、

 数台の車で出かけてた際なんかに、
 そうだそうだと、一方のトランシーバーを渡して会話を試みるも、
 まったく話せず、それぞれの車内で空しい声を響かせちゃってたという、

 電波が視覚的に見えてたならば、
 トランシーバーの電波がどこまで届いてたのかなぁ〜といった具合で、
 今の時代に、肉眼で電波が見えちゃうようなら
 すごい光景が眺められるんだろうなぁ〜ってなわけなんですけどね。

 そんなこんなで、
 前日の17日夜、11時14分頃には、
 愛媛県や高知県で最大震度が6弱とも、
 近畿・中国・四国・九州地方の広い範囲でも揺れが観測されたという、
 豊後水道を震源とする地震には目も冴えさせられてた一先ず。
 一昨日の16日には、
 観測史上2番目の早さでの桜前線の北海道到達という、
 桜ソメイヨシノの開花が北海道南端の松前町からつたえられてましたねぇ〜。
(2024.04.18)

●椅子の日。
◆良い年の日ともいった十四日の日曜日。
・触れてみてからは少しは年月の経つように思う連想話でも添えてみちゃえば、
 あれは、アイスグリーン色にボンレットの帯といった地元の車両での、
 早朝時間帯ではなかった通勤時。
 少しばかり混雑していた、車両内の中央辺りで、
 吊革を片手に、ぼやぁ〜っと立ってた時の事。

 いきなり片方の肩を、キュっと握られたもので、
 「なんだなんだぁ〜」といった感じでその肩の方を振り返ってみれば、
 自分の背中側で、背を向け立たれてあった女性の肩越しから、
 愛らしい顔を覗かせていた赤ちゃんが、たまたま目の前にあった自分の肩に、
 何となく手を伸ばしてただけだったという。

 偶然背中合わせみたいになってた、その赤ちゃんを抱いてあったその子の母親と、
 隣に立ってあった、初孫だと言っておられた、若葉マークのお母様3世代と、
 それぞれの笑みでも零してたんでしたっけ。

 別時期なんかでは、
 20代の頃だったかの休日、グリーン車とも例えたくなる転寝話というかで、
 隣の席やその正面には買い物帰り〜みたいな親子連れといった、
 窓を背にしたロングシートに座れてた状況での帰路時。

 ようは、自分の座っている正面辺りには、
 隣に座ってあった女性の、20歳前後の娘さんが吊革を握り立ってあるといった、
 それなりに人が乗っていたというような状況での事。

 隣のその方が、転寝を始められた事には気づいていたのですが、
 暫くすると、 その揺れていた頭が、自分の肩を簡易枕に、
 ピタっと落ち着いてしまっちゃってたという。

 当然といった感じで、そこの娘さんの顔を見上げてみれば、
 こっちはこっちで、また半転寝中。

 そんな状況に、まぁ〜自分の最寄の駅までじっとしとくかと、
 こちらも半転寝みたいなもので時を過ごしてみてたらば、

 目の前で半転寝中だった娘さんが
 いわゆる、横にいた見ず知らずの自分の肩を簡易枕に、夢の中といった状況の、
 その方の母親の姿に気づいたらしく、
 とにかくそぉ〜っと起こさねばと、笑いをこらえながらささやいてたという。

 結局の所は、その娘さんに体を揺すられ、目を覚まされてあったようでしたが、
 余程眠たかったんでしょう、そんなに時間が経たないうちに、
 再び娘さんから体を揺すられるはめになっちゃってたんでしたっけね。

 そんなこんなで、
 一昨日の12日には、西鉄の天神大牟田線が開業から100年を迎えたという、
 あの駅ができたのが、高架化されたのが、急行が止まるようになったのが、
 あの頃になるのかぁ〜といった、
 自身も通勤通学なんかで利用させてもらってた西鉄さんなわけで、
 いわゆるその時代時代の最寄り駅も数えてみれば8駅となり、
 乗り降りした西鉄の駅名を数えてみれば21駅という、
 時頼耳に届くそれら最寄り駅や駅周辺の新たな景色話には、
 当時話も重ね重ねての一盛り上がり。
 そんな具合で、
 2017年10月15日の8000形ラストラン時には、
 初耳だったという、あれが8000形〜やらで、
 あれって高校の頃の三者面談時の帰路時でしたか。

 筑紫駅で乗り換えといった中で、「おぉ〜なんじゃ〜この車両〜」ってな、
 車両基地から出てきたばかりの、当時でいう特急用の新車両に出くわし、
 ホームにいた駅員さんからのお初話に、
 へぇぇ〜なんかしらんけどラッキーってな具合で、

 先ずは大牟田方面へ各駅停車で慣らし運転という、
 これから何往復かするらしいその新型新車両の、
 初めてのお客の中の1人にもなっちゃえてたんでしたよねぇ〜。

 そして、一昨昨日の11日には、
 宮崎県産の完熟マンゴー、
 「太陽のタマゴ」の初競りも伝えられ、
 ご祝儀価格 過去最高値の2玉70万円。

 更にその前日の10日には、今回で21回目を迎えるともいう、
 全国の書店員が最も売りたい本を投票で選ぶ、
 2024年本屋大賞も伝えられ、
 大賞には、デビュー作での受賞は3人目という、
 宮島未奈さん 40歳の、
 「成瀬は天下を取りにいく」(新潮社)が選ばれてたようでしたねぇ〜。
(2024.04.14)

●発酵茶話。
◆駅弁の日ともいった10日の水曜日。
・新幹線で博多から東京まで7時間ってな時代に、
 帰路時の昼食には、神戸牛の駅弁を、ワゴンサービスで購入と決め、
 実行してたらしい、その親類が計画タイプだった事も昨年に初耳といった、
 40年までは経たない、いわゆる団塊の世代の当時話

 こちらは度々触れちゃっているというかで、
 昼食は列車内で駅弁購入ってな当初からの予定で、
 出発時刻でも気にしながらロッカーへと急ぎ、
 荷物抱えての一気合ってな、改札到着で、
 頃合を図ってホームへと移動をすれば、

 間も無くして滑り込んで来た、
 一乗り換えしてたんだかでの、特急だったかの指定席に落ち着き、
 座席の背面ポケットにあった写真入りの駅弁メニューを手にして
 「おぉ〜いろいろあるやん」、「どれにする〜」、「どれにしよっかぁ〜」、
 「これもいいねぇ〜」、「これもすてがたいっちゃんねぇ〜」

 「よっしゃ〜これにしよ〜」、「どれにした〜」ってなこれへの、
 「それにしたぁ〜、そんじゃぁ〜これにしよっかなぁ〜」で、
 乗務員さんの声に、「すいませぇん」と呼び止めての、
 駅弁メニュー表の写真を指さし、
 「何々1つと、何々1ついいですか〜」。

 そんなわけで、いつぞやの駅弁の日に醸してた話ではありますが、
 「こちらは、何駅からになります」といったご返答に、
 「えぇ〜」ってな事になっての、「どちらまで〜」へのこちらまで〜で、
 その区間は幕の内弁当1種という
 選びようがないというか、選ぶんなら買うか買わないかといった中での、

 「どうしよっかぁ〜」、宿までお預け〜ってのもねぇ〜ってな雰囲気漂い、
 「お茶はどうする〜」、「それじゃぁ〜2つずつ〜」ってな具合で、

 時より一緒に登下校してた者なんかが、最寄り駅のコンビニで、
 中華饅のケースに貼られてた、当時の定番4種、
 (肉饅 餡饅 カレー饅 ピザ饅)以外のものでもまじまじと眺め、
 「ちょっと値段は張るけど食べてみようかなぁ〜」と、
 いざ購入しようとしてたらば、

 そもそもから、定番の4種類しか無かったという、
 「だいたい、置いてないものを貼るなよなぁ〜」と
 肉饅にかぶりついてたという、

 いつぞやに触れてた、下校時の肉饅話で味付けでもして、
 更に味わい深き幕の内弁当になっちゃってた、
 ある意味で土産茶話にもなってるというような、
 一先ずのお日柄話といったところでしょうかね。

 そんなこんなで、一昨日の8日には、
 一般ドライバーが自家用車で乗客を運ぶという、
 日本版ライドシェアのサービスが、
 東京と京都で先行して始まってたようでしたねぇ〜。
(2024.04.10)

●白の日。
◆シールの日ともいった6日の土曜日。
・幼き子から値札のシールでも引っ付けられて、
 暫し遊ばれちゃってる光景でもよぎらせてみれば、
 家具や壁は、シールがべたべた ってな、
 シール以外にも、お鼻からの発掘品が、
 時より、カピカピで発見されちゃってる、何気の茶話。

 学校の敷地にあったジュースの自販機に、一時期付いてた当たりシールで、
 どのタイミングでどれを買うか考えてた同級を横目に、
 先の購入を勧められての、あらシールってな展開で、
 裏面は白地も表面は赤地に白模様といったタオルの景品を手にし、
 一先ずは洗濯物を見事に染めちゃってたという、
 様々なレジャー先で愛用させてもらってた懐かしき自販機カラーのタオル、
 なんてなものもありましたっけね。

 そんなこんなのこの6日、
 石川県の「のと鉄道」では、地震被災から3ヶ月、
 暫し臨時ダイヤではあるも 全線開通が伝えられれば、
 一昨昨日の3日には、
 今期国内初の真夏日を、
 沖縄県波照間島で観測のようでしたねぇ〜。
(2024.04.06)

●趣味の日。
◆みずの日ともいった3日の水曜日。
・午前9時前、台湾付近を震源とする地震で、宮古島、八重山地方、沖縄本島に、
 一時「3メーター」と耳に飛び込む津波警報も出され
 記憶に残る景色へ身構えてた暫し。

 一先ず好む色も、時期や個人でそれぞれといった中で、
 懐かしきカラー探偵話でも懐かしんでみちゃえば、
 いわゆる、カラーセラピーみたいなものだったんでしょうか。
 今は接点のない、ある知った方が、
 色で何かしらを探るといった事に、ふと興味をもたれてたようでして、
 店舗内の入り口近くに、様々な色の液体が入ったボトルを飾ってあった光景を
 何気に思い出しちゃってたという。

 まぁ〜詳しくは判りませんが、
 当時、その出入り口近くのソファーに座っていると、
 ドアを少しだけ開け、顔を覗かせている常連さんらしき人が
 小声で「何々さんはいる」と、趣味多きその人がいない事でも確認しながら、
 ほっとしつつ入ってきてた光景なんてのには、
 思わず目を細めさせられちゃってたんでしたっけ。

 そんなこんなで、前日の2日には、
 地元球団ソフトバンクホークスの本拠地開幕戦も伝えられ、
 ここ太宰府市では14時45分に25.5℃を観測し、
 今期初夏日のようでしたねぇ〜。
(2024.04.03)

●新年度の4月ですねぇ〜。
◆トレーニングの日ともいった卯月の初日の月曜日。
・各地の入社式光景も伝えられれば、自身や知った者の初々しき頃も、
 浮かぶものやら〜浮かばぬものやら〜といった具合で、
 何気に少しだけかじってた競泳ってなものでも振り返ってみちゃえば、
 入学してからまもなくの事、講堂で部活の紹介があり、
 運動系か文化系の中から、自身に合った部活を1つ選ぶ事になってたという、
 たまたまクラスの座席が前後してた者と、
 選らんでたのが水泳部だったわけで、
 水泳部というのが1年前にできたばかりらしく、部活の先輩というのが2年生だけ。

 自分たち新入部員というのは、競泳などとは無縁に近い者ばかりで、
 小学校の水泳の授業でちょっと早く泳げた者が何人かいたぐらいの、
 ようは、競泳ど素人の集まり。
 そして、今でも初日の練習というものは、とても印象的な、
 25メートル→50本、合計1250メートル。

 後々になればなんなくこなせる締めのメニューの1つだったんですが、
 練習の初日に先生から聞いた時には心の声として、「えぇ〜まじでぇ〜」。

 小学校の頃までは、海での遠泳の経験などもなく、
 ただ海やプールに浸かって遊ぶだけで、
 泳いでもプールで、25メートルや50メートルをほんの数本。

 そして、いよいよ水泳部として始めての練習が開始される事となり、
 1つのコースに、おおよそ4人ぐらいに振り分けられ、
 泳ぎの早い順にグループが組まれると、
 各コースからそのグループの人が一所にスタートといった感じで練習が開始。

 新入部員は専門の種目というのが決まっていないので、
 全員がクロールで泳ぐ事となり、本数が増えていくにつれ、
 新入部員の中からリタイアする者がでてき始め、
 プールサイドに寝転がる同級生を横目に、正直羨ましくなってきたんですが、
 まったく自分には腹痛が起きる気配すらないもので、自然と泳ぎ続ける事に。

 暫くすると、新入部員では自分1人だけが泳いでいる事に気がついたもので、
 腹痛はないけれど自分もリタイアしようかなと、理由でも考えていた所、
 スポーツ少年団時代の先輩でもあった同じコースの先輩が、
 「もうちょっと、後ちょっと、頑張れ」などと
 声をかけ続けてくれるもので、リタイアしづらくなっちゃってたという。
 結局の所、最後まで泳いでしまっちゃってたもんで、仰せつかったのが、
 その先輩と同じ 1500メートル自由形と400メートル自由形の担当。

 他の種目だったならば、400メートル個人メドレー以外は、
 100メートルや200メートルですむのに、
 部活でのタイム取りや、試合のたびに1500メートルや400メートルなんです。
 いらんこと頑張りすぎちゃいました。

 まぁ〜その当時は、1年に1回だけ、他の種目の担当にられる機会があったもので、
 2年になった際、試合で100メートルや200メートルですむ種目の担当になろうと、
 同学年の中で競った結果、バタフライだけが1番になれてたもので、
 2年生以降は、バタフライを専門として泳ぐ事になってたんですが、
 そんな水泳部に所属しての初試合は、1年生時の市・郡大会。

 会場というのは、その地域の水泳部のある中学校、数校が、
 持ち回りで会場になっていたという
 試合前に学校でタイム取りをしてたもので、判っちゃいましたが、
 泳いでいる途中からは、後どれだけの距離が残っているのかが判らないままに、
 ラスト50メートルの金の音が鳴るのを、まだかまだかと待ちながら、
 25メータープールを、行ったり来たり。

 時には、何かしらを歌ってみたりだとか、
 「あぁ〜鼻水が出てきたぁ〜フン」といった感じで取りあえず泳いでいた所、
 ふと気づいちゃってた美味しそうな香り。

 そこで息継ぎをする際に、プールサイドの各学校のテント内を見てみれば、
 いつの間にやら、昼食タイムが始まっちゃってたという、
 自分なんかは、上級生なんかに、2度までは抜かれずにすんではいましたが、
 当時40分程かかって泳いでいたような種目でしたから、

 1500メートル自由型に当てられていた試合時間というのが、
 意図的に、お昼の時間帯だったという、
 「腹へったなぁ〜うまそうやなぁ〜」といった独り言でもぶつぶつと言いながら、
 競泳初種目をこなしてたんですよねぇ〜。

 そんなこんなで、前月となる前日の31日には、
 第96回春の選抜高校野球大会の決勝も行われ、
 高崎健康福祉大高崎が群馬県勢で春夏通じて初という、
 甲子園優勝も伝えられれば、
 国内の70地点で3月の最高気温の記録更新という、
 東京都心では28度越え。
 更には、117年の歴史に幕という、
 「北の国から」や「鉄道員ぽっぽや」のロケ地の駅もあったという、
 JR北海道の根室線 富良野〜新得間の運行終了や、
 78年の歴史に幕という「中洲大洋」福岡市の映画館。

 一昨昨日の29日には、
 今年国内初の黄砂の観測が、
九州や中国地方から伝えられる中、
 俄ファンなればの季節を満喫というかで
 プロ野球のせ・パ両リーグで開幕も迎え、見入り聞き入る
 地元ソフトバンクホークスも よっしゃっしゃぁ〜。

 そして、27日の午前、
 放送関係者たちの度々の熱き視線には、鼻の穴でも膨らませられる中で、
 前日は4輪で見送られてたらしい福岡市の桜ソメイヨシノの標本木の開花が、
 洗濯日和でもあった、さくらの日に発表されれば、
 日も暮れると、福岡城跡では、
 午後6時から午後10時、5月31日までの期間でという、
 幻の天守閣でのライトアップも伝えられてきてましたねぇ〜。
(2024.04.01)

●ご愛嬌。
◆散歩にゴーの日ともいった25日の月曜日。
・一先ずの季節話とでもいいましょうかで、
 各地の早咲きの桜の開花情報は耳にしている中、
 桜ソメイヨシノの標本木の開花が、
 今期の国内では2番目とも、九州ではトップで宮崎市から伝えられれば、
 北九州市独自での開花発表も耳にした本日。

 とにもかくにも触れあった日々だけ懐かしめる話も溢れてくるというかで、
 1日のかなりの割合を、歩き回って過ごしてあった、
 入所施設の脱走をもくろみ、意気投合してあったという、おばあちゃまトリオ。
 ご自宅がその施設の窓から見えてた1人の方なんかは、
 互いにビックリといった感じで、
 そのご自宅から、お電話をもらうはめになっちゃってたわけで、

 「行ってらっしゃぁい、お帰りなさぁい」といった、
 ハウスの中を覗かせてもらってたらしい、
 そんな入所者の方たちとのお散歩の時だったですねぇ〜。

 「家はすぐそこですからぁ〜」と、売り物の花を、おばあちゃまトリオに、
 ニコニコされながら、次から次へとむしられてしまってたらしい、
 まいっちゃった苦笑い話ってのも、ふと思い出しちゃいましたねぇ〜。

 そんなこんなで、
 前日の24日には、大相撲春場所にて、
 大銀杏が結えない力士では史上初とも、新入幕の力士では110年ぶりともいう、
 尊富士(24歳)の最速記録も更新という初優勝が伝えられれば、

 一昨日の23日には、ある種の春便りとも、春一番とでもいいましょうかで、
 国内のトップとしては2018年以来になるという高知市から、
 桜ソメイヨシノの標本木の開花が伝えられてたり、

 営業車両で国内最古とも、誕生から101年ともいう、
 蒸気機関車「58654号機」以前はあそBOYとしても親しまれた、
 SL人吉が老朽化でのメンテナンス困難により、
 博多〜熊本間の運行をもって営業ラストランを迎えてたようでしたねぇ〜。
(2024.03.25)

●春分の日。
◆LPレコードの日ともいった20日の水曜日。
・なかなかに風音も響いてたお日柄。
 幼き頃耳にしてた童謡集らしき物が、
 記憶に残る上での初めてのレコードといった中で、
 帰省先の頃なんかには知らなかった、
 こんなに唄う人やったんだぁ〜、何時ごろ唄いよった歌やろかぁ〜。

 それにしてもすごい歌詞やなぁ、
 当時の替え歌〜、それともこれが原曲〜ってな、
 ご様子伺いがてらの、耳にしてた興味本意のリクエスト返答に、
 繰り返し、合いの手を入れるはめになっちゃってた事なんかもよぎらせてみれば、

 年月経たいつぞやのご様子伺いで、
 どんな夢見てんのかなぁ〜、聞こえてるぅ〜ってな状況に、
 足をくすぐってみたり、手を握ってみたりしてたらば、

 なんなぁ〜誰なぁみたいなリアクションでもされちゃってたという、
 暖かかった、小さな手、小さな足、
 そして、可愛らしい寝間着に、ビートのきいた脈なんてのも懐かしめちゃうも、
 ありゃぁ〜なんちゆう歌だったんでしょうかねぇ〜ってなそれにしてもの光景。

 そんなこんなで、前日の19日、
 1985年に胴上げされ道頓堀川に投げ込まれ2009年に発見されてたという、
 カーネル・サンダース人形が老朽化で保管困難となり
 今月8日に 人形納めされてたとのことでしたねぇ〜。
(2024.03.20)

もどる
バックナンバー
admin build by HL-imgdiary Ver.1.25