2008年07月のコラム

●黒猫チャチャとの思い出。(続編3)
●子猫と出会った日の夜。
 この子猫が自由に家の中を出入りするまでの数日間は、
 勝手口の所で食事をさせていましたね。
 食事の時には、牛乳を飲ませていたんですが、
 普段は、いつでも水分が取れるようにと、勝手口の所に
 水を置いていたように思います。

 そして、この勝手口での食事に関しても
 忘れられない出来事があったので、
  次の機会に紹介したいと思います。

 夜になり、自分たち家族の寝る時間が近づいてきたもので、
 濡れ縁に置いた箱の中に子猫を誘導し、後は親が担当する事に。
 お互いが網戸ごしに見えるよう箱を配置していたのですが、
 親の方は眠たいのに、なかなか子猫の方が眠ってくれないとの事。

 子猫が主張すれば、それに対して親も主張するといった感じで、
 適わぬ願いのやりとりが聞こえていましたね。
 暫くは、お互いに可愛らしい声を出し合っていたようです。
 結局の所、どちらかが疲れて眠ってしまうまで続いたようでしたね。

 自身もそれから数日後に、この子猫と適わぬ願いのやりとりを
 する事になっちゃったんですけどね。

◆明日から8月ですね。
 その時期に関する話をメインにしながら、
 黒猫チャチャとの思い出話を
 少しづつ掲載していこうと思っています。
(2008.07.31)

●黒猫チャチャとの思い出。(続編2)
●子猫を家族みんなで育てる事にしたあと。
 一先ずの観察が終わり、その日は休みだったもので、
 庭に出てこの子猫と遊ぶ事にしたんです。
 動く物にとても興味を示したので、野球の軟式ボールを使って遊ぶ事に。

 ボールを投げると、動いている間は追っかけて行くのですが、
 動きが止まると、子猫もボールの近くで座ってしまい、
 子猫に対してボールを持ってくるように言っても、当然のリアクションなんですが、
 意味がわかるはずもなく、子猫のみ自分の所に戻って来る始末。

 結果、ボールを投げて遊べば遊ぶだけ、自分も庭の中を動き回る事に。
 さすがに面倒になってきたもので、勝手口の前で子猫の体でも撫でていると、
 安心したのか、自分のしゃがんでいる近くの様々な物に対して興味が出たようで、
 自分が近くにいる事を確認しながら、勝手口周辺の探索でも始めたようでしたね。
 暫くすると慣れてきたようで、行動範囲も広くなり、 自分の近くを離れ、
 庭の中の探索に興味が移ったようでした。

 それから自分も家の中に入り、寝転がって自由な時間を過ごしていましたが、
 時より、勝手口や濡れ縁、縁側などから子猫が家の中を覗いて可愛らしい声で呼ぶもので、
 自然と人間の赤ちゃんに話しかける感じの言葉で返答する事となり、
 そして頻繁に庭に出て子猫と遊ぶ結果になっちゃったんですけどね。

 自身この家に住んでいながらこんなに庭に出ていた事など無かったもので、
 この子猫と同じ感覚で、自宅の敷地内を初めて様々な角度から見る事になりましたね。
(2008.07.30)

●黒猫チャチャとの思い出。(続編1)
●黒い子猫と対面してから。
 自分の家で、この黒い子猫が初めて食べたメニューというのが、
 昨晩の食べ残しの鯵のひらきと、牛乳だったですね。
 (確か、鯵のひらきは、その後のチャチャの好物の1つだったですね。)
 自分は、家に入って来た話を聞きながら、この子猫の夢中で食べる姿を見ていました。
 そして、それぞれの朝食が終わり、自然と黒い子猫の観察が始まる事に。

 目の色は、人間での白目黒目で言うなら、周囲が黄色で中心が青色。
 尻尾は、天井に向けピーント立てており、尻尾の先の方だけを
 後ろに直角に曲げている状態。
 全体的には黒い毛並みなのですが、耳の中の一部は白く、
 この黒い子猫を抱えて見ると、女の子という事がわかりました。

 そしてお腹の毛並みの色が面白かったですね。
 逆三角形をした白い毛並みの模様が、上手い具合な感じで、
 ちょうど白いパンツでも身に着けているような場所にあるんです。
 家族みんなが微笑む中、子猫の方は意味がわからず
 キョトンとしていましたけどね。

 そして、当然ですが今後どうするのかが問題となったんです。
 いくつかの意見が出ましたが、一先ず家族全員の同意が得られた内容は、
 ・食事は用意するけど、家の外で育てる。
 ・そしてどこかに行ってしまったらそれまで。
 →と言った感じだったですね。

 この子猫の寝床は、親の寝室のすぐ外にある濡れ縁に決まりました。
 庇とすのこもあるので、余程の雨でないかぎり大丈夫な場所で、
 そこにダンボール箱を用意し、網戸ごしに箱の中が見えるように配置。
 そして、古くなったバスタオルを箱の中に敷いて
 この子猫の寝床が完成する事に。

 結局の所、そんなに日が経たないうちに、
 家の中で寝る事になっちゃったんですけどね。
 そして、この黒い子猫に名前がついたのは、
 確か、家の中で寝るようになった頃だったですね。
(2008.07.28)

●黒猫チャチャとの思い出。
●ほのぼのした話に関連して。
 動物が苦手な人には面白くない話だと思いますが、
 現在の所、自宅で共に唯一生活をした黒猫、
 チャチャの思い出でも書きたいと思います。

 今年で十三回忌を向かえるチャチャは、
 確か、今頃の時期に出会ったんじゃなかったですかね。
 以前住んでいた家での話しですが、朝食をとろうと台所に行くと、
 黒い子猫が冷蔵庫の前で食事をしていたんです。
 言葉では表現し辛いのですが、かなり空腹だったようで、
 「ホワンホワン」泣きながら昨晩誰かが食べ残した鯵のひらきを
 夢中で食べていた様子を覚えています。

 親の話を聞くと、朝起きて勝手口を開けたらこの子猫が
 勝手口前の木の枝にちょんと乗っていたとの事。
 ようは、誰かがこの子猫を捨てたわけです。
 家で動物を飼うつもりがなかった親は、
 放置しておけば、何れどこかに行くだろうと思い
 朝食の準備をしていたらしいです。

 時より勝手口から覗いて見ると、その枝から全く動かずに、
 家の中や地面をキョロキョロ見ていたとの事。
 動かないと言うよりは、動けなかったようですね。
 子猫にしてみれば、その枝から地面までが、とても高く感じていた事と思います。
 暫くすると、その子猫が勇気をふりしぼって、枝から下りようと
 木の幹にしがみつくと、ズリ落ちるような感じで地面に下り、
 そして、勝手口のじゃばら式網戸の小さな隙間から、
 潜り込むように、家の中へ入って来たらしいのです。

 当然この時には、まだ名前などない黒い子猫が、
 不思議と自然な感じで一所に生活する事となり、
 結果、自分たち家族にとって掛替えの無い存在になったんです。
 今でも鮮明に様々な事が思い出され、自分たち家族と
 一所に生活ができなくなったその日以外の思い出は、
 とにかく幸せな感じになれますね。
 今後、少しづつ様々な思い出を紹介していきたいと思います。

◆余談ですけど、かなり前にテレビで見たのですが、
 猫の好物と言えば【魚】と思いがちですが、
 実は、魚よりも肉の方が好物なんだそうです。
 さらに、肉よりも好きな食材があるとの事。
 それはなんと【生クリーム】以外でしたねぇ〜。
 でも、限度を超えた感じで食べさせたら、
 人間と同じで、様々な病気になっちゃうと思いますよ。
(2008.07.26)

●幸せにね。(思い出編)
●君たちとの懐かしい思い出。
 学生の頃は、夏休みや冬休みにしか会えなかったけど、
 今その頃の懐かしい記憶が次々と思い出されます。

 確か、エルだったっけ、白くて小さな老犬。
 2階への階段を自分では下りきらんのに、なぜか上ってしまい、
 結局下ろしてくれと誰かが行くまで呼んでいたり、
 お腹を壊すのに、食欲には貪欲だったり、
 縁側でぼんやり外を見ながらおしっこをしてしまう
 エルの姿を見て「人間と一緒やねぇ〜」とみんなで言っていた事。

 君のお姉ちゃんが「弟にはついているのに、なぜ自分にはついていないのか」
 と言った質問に対して、誰が応えたのか憶えていないけど、
 お姉ちゃんが、お母さんのお腹の中にいる時、忘れてきた物を、
 弟がつけてきたような説明をしたもので「かえせ、かえせ」と
 お姉ちゃんに、暫く追っかけ回されていた事。
 あの時は「本当にお姉ちゃんが怖かった」と言っていたようだったね。

 みんなでレストランに行った時、君のお姉ちゃんがハンバーグだったかな、
 食べている時、熱い鉄板に(あご)をつけてしまったのに、
 何もなかったかの様に、夢中でハンバーグを食べていた姿。
 そして帰り道になってから、漸く(あご)を気にしていた様子に、
 みんなで笑っていた事。

 じいちゃん、ばあちゃんとも一所にみんなで、よくトランプで遊んでいたし、
 様々な所にも連れて行ってもらったね。
 確か、君じゃなかったかな、友達と遊んでいる時に何かを跳び越えて
 股がさけてしまい、縫うはめになった事。

 想像上のサンタクロースの存在を、小学校の4〜5年生ぐらいまで
 本気で信じていた君に、教えてあげようとしたら、
 おばちゃんに「いずれ解るから今は言わんどって」と
 お願いされた事もあったね。
 結局いつごろ知る事になったのかな。

 本当に様々な懐かしい出来事が思い出されますね。
(2008.07.23)

●幸せにね。
●結婚おめでとさん。
 日帰りが難しい結婚式の時間だったから、参加を断念する結果になったけど、
 参加した自分の親から素晴らしい結婚式だった事を聞いたぞ。
 おばちゃんも、じいちゃんばあちゃんも、とても喜んでいると思うよ。
 もしかしたら満面の笑みで、写真に写っているかもしれんぞ。

 思えば、学生の頃までに、君とお姉ちゃんの2人になってしまい、
 自分の想像などおよばない悲しみの中、必死にがんばってきた結果が
 現在の幸せを呼び込んだのでしょうね。

 素晴らしい同僚たちにも恵まれているようだし、
 なにより奥さんと共に、お父さんお母さんと呼べる人の存在ができ、
 新たな家族ができた幸せでいっぱいだと思います。

 苦労して得てきた教訓を忘れず、お互いに無理をし過ぎない
 自分達なりの幸せな家庭をきずいてくださいね。
 【おめでとう。】
(2008.07.20)

●夏休み前に一言【続編】
●海や川で溺れた体験談【体験者から聞いた話し】
◆1つは、沖縄旅行中にタクシーの運転手さんが子供の頃体験した話です。
 当時、友人と高い岩場から海へ飛び込んで遊んでいたとの事。
 このような遊びは、珍しくはなかったそうです。

 この時はいつもより高い岩場から飛び込んだもので、
 いつもより深い位置まで潜ってしまったらしいです。
 すると、海面へ浮上することができずに、海中をどんどん沖の方へ流されてしまったとの事。
 【そこで、自分が質問。】
 滝つぼなら上から強い力で抑え付けられるイメージがわきますが、
 表面上、穏やかな海でのイメージがわかなかったので、
 なぜ浮上できなかったのかを聞いたんです。
 すると、【自分の上に見えない壁があるようだった】と言ってありましたね。

 意識がしっかりある間は、何度も浮上しようと試みたそうですが、
 そのつど見えない壁に弾き返され沖の方へ流されてしまったらしいです。
 呼吸ができないために、意識がもうろうとしてきた頃
 自分を沖へ運ぶ海流が弱まり、見えない壁が感じられなくなって、
 最後の力をふりしぼり、なんとか意識がある間に海面へ浮上することができたそうです。
 そして、陸地の方を見るとかなり離れていた事にビックリしたらしいですよ。

◆もう1つは、以前働いていた治療施設のご利用者の体験話です。
 高齢の女性で、その方が子供の頃、川で遊んでいた時の体験だそうです。
 いつも遊んでいた川で深い所でも、
 足がとどくぐらいの川だったらしいですが、
 その時は、足をすべらせてしまったような感じで、川下を向いたままの状態で流されてしまい、
 足が川底に付くはずなのに、どうしても足が付かずパニックとなり溺れかけたらしいです。
 そして流されているところをそばにいた大人に抱きとめられて、助かったそうなのです。
 その場所でその大人の方におちつかされて、川の中に立たせてもらうと、
 川底に足が付いたそうなのです。
 あの時は不思議だったと言ってありましたね。
 【どんなに足を伸ばしても川底に足が付かなかった事に。】

 体験話を聞いた感じでは、
 体が斜めになった状態、もしくは【く】の字に曲がった状態で
 流されている状況を想像してしまいましたね。
 やはり、川の流れにも所々速さの違いがあったりするのだろうし、
 パニック状態になった時にいかに溺れやすいかがイメージできる
 体験話でしたね。

■ほかにもよく聞くのは、
 アルコールを飲んだ後とか、満腹状態で泳いだりすると、
 呼吸が困難となり溺れやすくなる事をよく耳にしますよね。
 足ひれをつけて高い所から飛び込む時は、【かかと】からですよ。
 水のそばにいく時は、泳ぐのが目的でない場合でも、
 浮き袋をふくらませた状態で用意しておいた方が
 良いような気がします。
 他にもいろいろあるでしょうから、様々な人の教訓をぜひいかしてくださいね。
 夏のレジャーを楽しむ人は、後悔しないように、安全だけは確保して、
 楽しい思い出をつくってください。
 そして、悲しいニュースを1つでも減らしてくださいね。
(2008.07.19)

●夏休み前に一言。
●学生さんは、いよいよ夏休みですね。
 海や川で遊ぶ機会も増えて来ると思いますが、楽しい思い出にするためにも、
 自身が水の事故のニュースで紹介されないように気おつけてくださいね。
 今年もすでにあちらこちらで海や川での事故のニュースを耳にしています。

 今月は、くだらない体験話ばかり書いて掲載するつもりでしたが、
 夏休み前ということで、フレッシュルームコラムを読まれた方に対して、
 少しでも役立てればと思っています。
 シンプルな内容で書きたいと思っていますので、
 【ニヤ】っとするところ1つ無い話になっちゃいますけどね。

◆先ずは、自身が小学生の頃の海水浴体験話です。
 確か、3〜4年生だったと思いますが、
 当時、近所の3家族で泊りがけの旅行に行ったんです。
 福岡県外の海でしたが、かなり波があったように記憶しています。

 専門的な知識がないので、詳しくは説明できませんが、
 当時腰ぐらいの深さまで浸かっていたのですが、
 岸辺から沖に帰っていく波がとても強くて
 自力では海から岸辺に上がれなくなった体験があります。

 気を抜くとそのまま沖へ流されそうな感じだったですね。
 あの時は大人の力をかりてなんとか岸辺に辿りついた事を憶えています。
 その後は、自分たち子供や女親たち、もう1人の男親などで、浅瀬で遊ぶ事に。

 その頃、男親たちのなかの2人は、長方形の浮き袋と共に沖の方へ遊びに行っていたようです。 
 暫くすると、興奮した感じで男親たちが、沖の方から戻ってきました。
 すると、男親たちと一所に歩いて来る2人の子供がいるんです。
 自分と同じぐらいの年齢に見えましたね。

 ようは、沖で溺れている2人の子供に男親たちが遭遇したようなんです。
 1人の方はまだ元気だったらしいですが、もう1人の方は
 本当に危ない状況だったそうです。
 浮き袋につかまらせ、岸辺で遊ぶ自分たちや、【監視小屋】に対して、
 現状を伝えようと、腕をクロスしたり、大声を出したようなのですが、
 誰も気が付いてくれなかったようなのです。
 確かに自分たちなどはまったく気が付かなかったですもんね。

 そしてそんなに大きくない1つの浮き袋に、力つきた方の子供を乗せ、
 もう1人のまだ元気があった方の子供には、浮き袋につかまらせた状態で、
 なかなか岸辺に辿りつく事が難しい波の中 大人2人の力で、
 沖の方からなんとか戻って来たようなんです。
 4人ともかなり疲れていたようでしたね。
 そして、2人の男親たちの方は、からりイライラしていたようです。
 結果的に命にかかわる事故にならず本当によかったですけどね。

 そして次の日、宿泊先のチェックアウトの時間の事でしたが、
 ビックリしました。
 同じ階の近くの部屋から出て来た家族づれの中に、
 海で溺れていた子供の1人がいたんです。
 自分たちは「あれ、そうよねぇ〜」などと、
 うつ向きかげんのその子の顔を覗いていた覚えがあります。

 その子の家族は、昨日の事など誰も知らない様子で
 能天気に宿泊先を後にしようとしていました。
 あの雰囲気だと、親には溺れかけた事を伝えていない感じだったですね。
 自分たちの親も、その子の気持ちはわかるようでしたが、
 小さい子供から目をはなし、何も知らない能天気なその親に
 一言伝えていたようでしたね。
 
 自分たちにとっても、親たちにとっても、
 また、溺れかけた子供や、その家族にとっても
 良い教訓となった出来事だったと思います。
★高校の頃、特に夏休み前の終業式の時に
 全校生徒の前で先生が言っていた言葉を紹介。
 【死ぬなよ】【ほんと、笑い事じゃないとぞ】
 後何か言ってあったですが忘れちゃいました。
■後は、聞いた話しかないんですが、
 思い出す範囲で紹介します。
(2008.07.18)

●追い山見物初体験(続編)
●追い山見物初体験(続編)
 友人宅で、午前4時を知らせる目覚ましのアラーム音が鳴り響き、
 2〜3時間の仮眠というのが一瞬のように感じられましたが、
 追い山見物という目的があるために、目覚めは良かったですよ。
 とわいえ、体の方は少々だるかったですけどね。

 最寄のバス停にタクシーを呼んで、スムーズに乗車する事ができ、
 運転手さんに「櫛田神社までお願いします」と伝えると、
 ▲「周辺は通行止めになっとるから近くまでしか行けんよ」
 ★「まじですかぁ〜、櫛田神社とか行ったことないから場所とかわからんですよぉ〜」
 ▲「大丈夫よ、人がいっぱい行きよるからついて行けばつくよ」
 ▲「けど、今ぐらいから行っても櫛田神社の辺りでは見れんかもしれんですよ」
 ★「そうですか、なら近い所で降ろしてください」
 運転手さんの簡単な説明は聞きましたが、正直現在地がわからない所で
 タクシーを降りる事に。

 見物客と思える人たちはかなり歩いてありましたが困った事に、
 一方向ではなく、様々な見物ポイントを目指しているようでした。
 中には自分たち同様に見物初心者と思える集団も多く
 あっち行ったり、こっち行ったりで見物ポイントが決まらない様子。

 見物ポイント選択に悩む、いろんな人たちの会話に聞き耳をたてながら、
 自分たちは、一先ずここにしようと決め、歩道に座って待つ事に。
 いま思えばその場所は東長寺の近くだったようですね。
 追い山が始まり、山が通り過ぎたかとおもうと、同じ山が走って来た道を戻るように、
 再び走りぬけて行く姿を憶えています。

 その当時、自分たちが見物ポイントを決めた時はまだそんなに人がいなかったので、
 最前列が確保できたんです。
 そして、近くにはポリバケツだったでしょうか、なみなみと水があったですね。
 いざ時間となり、一番山が動き始めたようです。

 少し遠い感じでしたが、男衆の声、太鼓の音、見物客の拍手の音が聞こえ
 暫くすると一番山が近づいて来たようで、見物客の数人が水をかけようと構えてありましたね。
 そして目の前を通り過ぎようとした時、慣れない手つきでバチャ〜。
 アンダースローというより、サイドスローに近いホームでしたね。
 かなり直剪的な感じに見える勢い水が、男衆の側頭部に直撃。
 あれは、確実に耳に入っちゃってますね。お気の毒でした。

 そしてバケツに残った水がその勢いのまま、 
 その人たちの左側最前列にいた自分たちにも。
 「うわぁ〜、まじでぇ〜」とんだとばっちりでした。
 当然服の換えなどないし、このままここで見物していたら
 再びとばっちりを受けそうだったので、最前列から撤退する事に。

 その後は勢い水がかからない後方で見物していましたね。
 そして「やっぱ、櫛田神社の中で見物したいねぇ〜」などと、
 今だ実現していない事を話しながら、初めての追い山見物が終了。
この当時は山が走るコースや、最終地点の場所とか知らなかったもので、
 他の見物ポイントに移動することなく、朝食が取れる場所を探しに
 博多駅の方へ移動したように記憶しています。

 そしてバイキング形式の所で、朝食をすませ、友人と別れる事に。
 仕事のある 友人の方は、当然ですが睡眠不足な感じで職場へ行き、
 自分は仕事が休みなもので、家に帰ってさっさと夢の中へ。
 友人が働いていると思うと、自分がものすごく幸せな感じとなり、
 なんだか優越感にひたって、さらに気持ちよく眠れちゃったですね。
(2008.07.16)

●いよいよ追い山ですね。
●初めて山笠の最終日(追い山)を見に行った時の思い出。
 福岡県に住んでいながら、7月15日早朝の追い山というものは、テレビでしか見た事が無かったんです。
 当時うまい具合に15日が土曜日で仕事が休みだったもので
 この機会に初めて行って見ようかなと思ったんです。
 そして、またまた自分勝手な計画を考えて実行する事に。

 前日の金曜日は以前から知り合いたちと居酒屋で会う予定があったので、
 そのまま家へ帰らずに追い山を見ようとしたんです。
 その知り合いたちとは、気軽に遊んだり旅行に行ったりする関係ではないもので、
 知っている人の中で、一所に行ってくれそうな友人を探す事に。
 数時間とはいえ、どこかで時間をつぶせる場所が必要となり、どうしたものか考えていると、
 博多駅から2キロぐらい離れた所に住んでいる友人が1人いた事を思い出したもので、
 さっそく電話をし、追い山を一所に見に行かないかと誘ったんです。

 勝手ながら、誘う事と同じぐらいに泊まらせてもらえる場所の確保が目的だったんですけどね。
 ●「山笠の追い山見た事ある」◆「いやぁ〜、ないねぇ〜」
 ●「今度の土曜が追い山なんやけどさぁ〜、一所に行って見らんかなぁ〜と思って」
 ◆「あれぇ〜。そっちは土曜仕事じゃなかったっけぇ〜」
 ●「今度の土曜は休みでねぇ〜」
 ◆「いいねぇ〜、こっちは仕事やもんねぇ〜、どうしようかいなぁ〜」
 ●「どうせ次の日、休みやろぉ〜もん」
 ◆「まあぁ〜、土曜も半ドンやけどねぇ〜」
 ●「半ドン、それならいいやんかぁ〜、行こうやぁ〜」
 ◆「まあ、いいけどぉ〜、行った事ないしねぇ〜」

 この様なやり取りで、一所に追い山を見に行ってくれる友人を確保。
 そして、簡単な計画の説明と共に、14日金曜日の23時代までには、
 その友人の住まいへおじゃまする事を伝えていました。

 いざ当日となり、正直その後のイベントの方が楽しみだったんですが、
 一先ず居酒屋へ。
 すると、その場を楽しむ精神が発揮されてしまい、
 時間を忘れバカ騒ぎする事に。
 時計を見るとまもなく15日土曜日が近づいていました。
 あわてて友人へ電話をする事に。
 ●「ごめぇん、12時過ぎるわぁ〜」
 友人の了解を得た後、タクシーの運転手さんに伝える場所をもう一度確認。

 まもなく最初のイベントが終了する事となり、
 次のイベントに向けて、タクシーに乗り友人宅へ。
 最寄のバス停の近くでタクシーを降り、徒歩2〜3分の道のりを歩く事に。
 昼間に1度しか行った事のない友人宅だったもので、結果迷う事に。
 ほんと 夜だとどのマンションだったかわからなくなっちゃいますね。

 以前の記憶を辿りながら、1つのマンションの道沿いで再び電話をする事に。
 ●「わるいけど、お前のとこから、おれが見える〜」
 ◆「はぁ〜、ちょっと待ってよぉ〜、」
 ◆「おらんよぉ〜」
 ●「えぇ〜、違うとぉ〜、やっぱ行き過ぎたかいなぁ〜」
 ●「怪しいと思ったマンション、通り過ぎたっちゃんねぇ〜」
 ●「そのままちょっとまっとってぇ〜」
 急いで通り過ぎたと思えるマンションを目指す事に。
 頭の上の方から声が。
 ◆「ピンポン、ピンポン、おはやいおつきでぇ〜」

 ようやく辿りつく事ができましたが、タクシーを降りてから、
 2〜3分の所を、15分ぐらい歩いていたようです。
 友人の部屋に入りちょっと話しているとあっという間に1時を過ぎてしまい、
 目覚ましタイマーを4時にセットし、一先ず4時まで仮眠を取る事に。
 すると、一瞬で4時を伝えるアラームが
 期待とけだるさが入り混じる中
 タクシーを呼び、始めての追い山見物へ。

★もうすぐ、15日になってしまいますね。
 今回はリアルタイブにテレビで追い山を見る事にしているので、
 そろそろ寝ます。
 続きの内容は次回ということで、一先ず、ここまで書いて掲載します。
 睡眠不足はほんと次の日がきついんですよね。
(2008.07.14)

●壱岐旅行話【第2段、続編】
●壱岐旅行(第2段の続編)
 旅行当日の仕事も終わり、一先ずの集合場所にしていた西鉄福岡駅にむかっていると、
 早良区ももち浜で実施される、花火大会に行く事が容易にわかる浴衣姿の女の子たちを、
 あちらこちらで見かけていました。
 「むちゃくちゃ人が多くて暑苦しいのにご苦労さんやねぇ〜」
 「自分たちは、船の上から優雅に花火を楽しむんやけどねぇ〜」
 などと言葉には出しませんが、今回の計画にかなりの自己満足。

 計画段階の時、自分の知り合いの壱岐出身の者に聞いてみたんです。
 【この時期にフェリーで福岡から実家に帰る際、花火を見た事があるのかを。】
 すると返答としては、
 【そんな計画は考えた事もなく、体験はないとの事。】
 計画はしたものの、実際のところは、フェリーの中から見える花火が
 どのような感じなのかは自分を含めた友人たちにもわからない状況。
 当然ですが、それぞれの頭の中では、すごい視点での花火がイメージされていたはずです。
 【陸地から見る花火などとは比較にならないすばらしいイメージが。】

 博多埠頭に到着し、フェリーの出港時間が近づいてきました。
 壱岐に向かう人たちが、乗船するために列をつくってあったので、自分たちも列の最後尾で待期。
 暫くすると、乗船ができる時間となったようで、長い列が動き始め、次々と船の中へ。
 乗船すると、一先ず進行方向の左側の席を確保。
 売店でビールやつまみを購入し、少々興奮気味の感じでその時を待つ事に。
 【期待のあまり、自分を含めた友人たちにも自然と笑みが。】
 時計を見るとももち浜の花火大会はすでに開始されている時間でしたが、
 その時は風向きが原因だったのか、博多埠頭からは花火の音が聞こえなかったような気がします。
 いざ出港の時間となり、フェリーが動き始め、博多埠頭を跡に。

 さっそくビールやつまみを手にし、世間話でもしながら、
 1泊2日の1日を無駄にしてまで体験したかった、船上での花火を待っていました。
 それなりの時間が過ぎたころ、船のエンジン音と自分たちを含めた周囲の賑やかな声が響く中、
 不意に今この船はどのあたりなのか気になったもので、友人になにげなく聞いたんです。
 花火大会の花火だし、近づけば音や光ですぐに気がつくと思っていたのですが、
 予想以上に時間がかかるように感じたんです。
 同様に感じていた友人たちも、現在の位置がどこなのかわからないもので、
 一先ず真っ暗な海に視線が注がれる事に。

 すると、自分を含めた友人たちの、ものすごく呆気に取られた表情がそこに在ったんです。
 そして誰だったか、自分たちの中の1人が、ぽつりと一言。 
 それから様々な見解が飛び交う事に。
 「あれぇ〜 よねぇ」・「あれは、ちがうっちゃないとぉ〜」・「他の花火大会じゃないとぉ〜」
 「今日、他にありよったかいなぁ〜」・「今日はこの近くでは、無かったはずやけどねぇ〜」
 「あれぇ、福岡タワーやろぉ〜」・「そうよねぇ〜」・「ちがうっちゃないとぉ〜」
 「横のあれ、ドームやろぉ〜」・「まじでぇ〜、うそやろぉ〜」・「そりゃ、ないやろぉ〜」
 そして、見解の一致した結論が出る事に。

 どんな花火が見えていたかと言えば、
 極小さな音が【ポン、ポン】と聞こえて来る中、
 肉眼でおよそ10センチちょっとぐらいの単発の花火が見えていたんです。
 陸地からはそれなりの大きさで見えている花火のように思えましたね。
 さらには、追い撃ちをかけるように、花火が遠くなっていく始末。
 それぞれの頭の中で、勝手に出来上がったイメージというものがあり、
 あまりに違う結果となったもので、計画者である自分としては、
 非常に気まずい立場になってしまいましたね。
 【船会社に電話で聞いておけばよかったぁ〜】
 【年に1回しかないタイミングの船なんだからさぁ〜】
 【それぐらいの企画があるとおもったんやけどねぇ〜】

 このようなどうしようもない独り言の後は、それぞれの鬱憤をはらすかのように、
 時間つぶしの、(ビール、つまみ、トランプ、ウノ)
 当然と言えば当然なんですけど、かなり熱のこもったゲームとなったんです。
 さいわいにも売店に行く機会にはあまり恵まれずにすみましたけどね。
 だいたい自分は、アルコールがそんなに強くないもので、
 はりきりすぎた結果、この夜の宿泊先の記憶というのがとても曖昧な上に、
 かなり以前の体験なもので、どこで何を食べたのかコメント出来ない状況ですね。
 次の日は、朝から夕方まで、ずっと海で遊んでいたように思います。
 天気も最高で、これでもかと言った感じで夏の太陽を浴び続けていたものですから、
 マブタまで、腫れあがってしまうほどの後々辛い壱岐みやげと共に福岡へ帰って来た記憶があります。

◆この内容では、壱岐の事がほとんどわからない体験話になっちゃってますね。
 しかし、最初の壱岐旅行での始めての水上バイク体験や、
 今まで食べた事のないぐらいの新鮮な魚料理の感動が、
 その後何度も壱岐旅行を計画する結果になったんですよね。
 なにせビーナスなら1時間ちょっとで近い上に、
 福岡県外で海のレジャーを気軽に体験できますからね。
 次の機会に思い出せる範囲で、残りの壱岐旅行体験話を
 紹介したいと思います。
(2008.07.10)

●夜空と壱岐旅行。
●壱岐旅行話。(第2段)
 七夕の夜空に、ぼんやり輝く天の川って、なかなか縁がないようですね。
 天然ではない上に、お金もかかってしまうんですが、プラネタリュームだったら、
 天気に左右されず、鮮やかなお星さまと、ついでに説明やすてきなサウンドなどが楽しめちゃいますよ。
 かなり前の記憶ですが、プラネタリュームで壮大な宇宙を感じようとおもって久しぶりに行ったところ、
 地上の道路で見ている、人目線での山笠の映像が、スクリーンに映し出された時にはビックリ。
 「宇宙は、星は、何が始まったの」と思わずつっこんでしまいましたよ。

◆壱岐旅行と、天の川から連想して思い出す話があるので紹介します。
 以前、夏の夜空で鮮やかな光を輝かせるイベントを利用して、
 ちょっとしゃれた感じでの壱岐旅行を計画し、実行した事がありました。

 実行したのは、2度目の壱岐旅行だったように思います。
 計画を思いついたのは、初めて行った壱岐旅行の帰りで、博多埠頭が徐々に近くなり、
 フェリーの中からなにげに見えた福岡タワーやドームがヒントになって、
 次の壱岐旅行で、できれば実現したい事ができてしまったんです。

 当時の夏には、早良区のももち浜の辺りで、花火大会が行われていたものですから、
 この花火大会を利用した壱岐旅行を想像してしまったんですよ。
 どのくらい前になるのか思いだせないですが、本当に懐かしいです。

 6月ごろだったでしょうか、仲間内で2度目の壱岐旅行の話が出た時に、
 この夏の、ももち浜の花火大会の日程が1番に気になったもので確認したところ、
 土日だったか、祝日だったか憶えていませんが、とにかく花火大会が休日の前の日だったんです。
 友人たちの意見としては、海で一日中遊べれば問題ないとの事。

 現在までに行った4〜5回の壱岐旅行は、すべて1泊2日だったのですが、
 この2回目の壱岐旅行だけは、仕事帰りの夜に出発する事を計画し、そして実行したんですよ。
 うまい具合に花火大会が行われている時間帯に、博多から壱岐に向かうフェリーが
 ちょうどあったからなんですけどね。

 それ以外の壱岐旅行は、1日目の朝に福岡を出て、1泊2日の時間を有効に使ったと思います。
 そう言えば、前回掲載した、現在のところ最後に行った雨の壱岐旅行は、朝から行ったのに、
 時間を有効に使うどころか、知らない人たちと宴会を楽しんだだけでしたね。

 計画当時、船の上で大きな花火が、自分に降り注ぐような感じの体験を未だした事がなかったもので、
 1泊2日の1日を無駄にするような計画でしたが、どうしても体験したくなっちゃったんです。
 それでも、船の上で花火を見て、夜の壱岐で美味しいものなどを食べ、
 次の日の朝から、帰りの時間まで、たっぷり海で遊べればそれで満足でしたので、
 友人たちも納得ができる、それなりの壱岐旅行計画だったようです。

 フェリーや、宿泊先の予約もスムーズに取れ、2回目の壱岐旅行での、
 計画段階のイメージを持ちつつ、いざ壱岐旅行当日を迎える事に。
(2008.07.08)

●雨の壱岐旅行体験話(続編)
●唯一、雨が降りっぱなしだった壱岐旅行の夜。
 雨が降る中、寂しい海水浴を終え、後は何をしようか悩みつつ、少し周辺を散策し、
 そして宿泊先の部屋に戻ったんですが、夜の食事までまったく記憶に残っていないので、
 どうでもいい会話でもして、時間を過ごしていたんでしょうね。

 さて、今回のメインイベントとなった夜の食事ですが、
 この宿泊施設では、大広間に宿泊者が全員集まって食事をするようでした。
 この時は、大広間を区切って2つの部屋の様にしてありましたね。
 1つの部屋はかなり大所帯の団体さんが使われており、もう1つの部屋に、
 自分たちのような少人数や、10数人のグループなどが集まって食事をするようでした。
 想像はできると思いますが、縦に長く間があかないように配置されているテーブルが何列かある状態。
 すぐ隣にはまったく知らない人がいる状況で食事をする事になるんです。

 食事の時間になると、、それぞれのグループが、それぞれのタイミングで大広間に集まり、
 そして食事を始めるといった感じですかね。
 自分たちが、大広間に行った時には、6〜7割りの宿泊者が、すでに食事を始めていたようです。
 食事の席は決められているようでしたので、自分たちの席を探す事に。

 用意されていた席は、大広間のステージの方を向いていえば右端のテーブルの列で、、
 その列の中でも、ステージがすぐ横にある一番端の席が自分たちの場所でした。
 すぐ横の席には知らない人がおり、友人とはテーブルをはさんでの食事となったんです。

 感想を言えば、特に2人組みで宿泊している者たちからすると、
 テーブルの幅があったもので、かえって知っている者が横にいた方が食べやすかったですね。
 イメージとして、相席で食事をしているようなものですから、この雰囲気に慣れるまでは、
 それぞれの会話もぎこちなくて、暫くはなんとなく静かな食事になっていました。
 変な感想を言ってしまいましたが、食事の方は美味しかったですよ。

 お酒も進み、お腹がいっぱいになったころでしたか、従業員の人が宿泊客に対して、
 カラオケを勧める声が聞こえはじめました。
 知っている者同士の集まりなら歌うのでしょうが、この大広間にいる人は、ほとんど知らないわけで、
 最初のうちは、ほとんどの人が断っているようでしたね。

 暫くすると、10数人ぐらいのグループの人たちがカラオケに対して動き始めたようで、
 先ずはその中の1人に歌わせようと、そのグループみんなでけしかけていたようです。
 そのグループみんなからご指名された中年の女性が、食事をしていた席のあたりで、
 十八番の歌をご披露し、カラオケの口火が切られました。
 するとこの大広間にいる知らない者同士の集団に、ちょっとした一体感が生まれたように思えましたね。

 自分たちの席はステージの目の前と説明しましたが、そこにはカラオケ用のモニターと、
 歌のタイトル番号を示した本があり、口火を切った女性と、同グループの若い女性が
 次の歌を選ぶため自分の横に自然と座る事に。
 一緒に旅行に来た友人によれば、雨の中誰も泳いでいない海で寂しく泳いでいた時に、
 ビーチパラソルの中にいた人たちが、このグループの人たちだったようです。

 自分たちがよほど退屈しているように見えたのでしょうね。
 口火を切った女性が自分たちにも歌わないかと話かけてきたのです。
 自分たちを歌わせるための勧め方というか、説得の言葉にちょっと違和感があり、
 この女性が同じグループの男性とデュエットしている間に
 若い方の女性にいろいろ聞いてみると納得。

 先ず、このグループは、自分たちと同じ福岡県からの観光客で、自分の記憶が曖昧なんですが、
 早良区か西区にある、英会話教室の外国人先生1人と生徒さんのグループだそうで、
 口火を切って、デュエット真っ最中のこの女性は、幼稚園の園長先生だとの事。
 話を聞いたこの若い女性は、自分と同じ、福岡介護福祉専門学校の卒業生らしく、
 初対面でもあり、あまり深く話は聞かなかったのでわかりませんが、
 お互に顔を知らないところから、4期生以降の生徒さんだったのでしょうね。
 これだけの共通点があると、いっきに距離が縮まり、気楽に話す事ができました。

 デュエットを終えた園長先生が、チャレンジ精神のすばらしさをご講義するような感じで
 再びカラオケを勧めてくるもので、
 自分が知っている歌は、このような幼い子から、お年寄りまでいる状況には、
 あまり向いていない事を伝えたのですが、案の定、何でもいいから歌ってみる事を強く勧めてきたもので、
 大広間の外から聞こえてくる雨音と、せっかくの壱岐の海が目的だった今回の旅行をだいなしにした雨、
 そして、福岡、博多、ロックと言えば、カラオケでいつも歌っているこの歌しかないだろうということで、
 このカラオケに、この曲があるならば歌うという条件で、歌う曲名を伝えたのが、
 【ザ・モッズ】の(激しい雨が)

 おそらくこういった所のカラオケには無いだろうと思っていたら、
 自分の友人があっさり見つけてしまい、「よかったねぇ〜、あったぜぇ〜」
 などとにやけて言う始末。
 番号が入力され暫くすると、聞き慣れた前奏が大広間に流れ出し、
 そしてマイクを握らされ、結局の所、のりのりで歌ってしまう事に。
 ついでに「あの人にはマイクはいらん」とまで言われるほどの大音量での大熱唱。

 その後は自分と英会話教室の人たちでの独占カラオケ大会となり、
 園長先生がカラオケの終了を提案するまで、自分も次から次にタイトル番号を入力する事に。
 そして、園長先生の後悔するような独り言を、右から左に聞き流しながら、
 マイクのいらない大音量の自分の声が、すべての人の歌う曲で登場する事に。
 お蔭様でその夜は大変良く眠ることができました。
 その後、福岡でその時の英会話教室の人たちに会う事はなかったですけどね。
(2008.07.06)

●長崎の壱岐旅行体験話。
●さすがに湿度がある中で30度を超えてくると暑いですね。
 今回の大雨での影響は、静岡県に様々な被害をもたらしたようですね。
 各地で雨のふり方が極端なようですから、雨雲に一言
 【何に見とれているのかわからんけど、世界中満遍無く動きまわらんかい。】
 とどかぬ独り言でした。

◆さて、この時期になれば、夏休みも近くなり、旅行や海など様々な計画が練られている事と思います。
 自身にも、海水浴が目的で長崎県の壱岐に旅行し、尚且つずっと雨だったという体験があるもので、
 今回は、この体験話を紹介したいと思います。
 壱岐には、4〜5回ぐらい行ったと思うのですが、今回の体験話は、
 壱岐旅行の中では、現在のところ最後に行った時の体験になります。
 そして、旅行に行った中で、ずっと雨が降っていたのも、
 今のところこの時が最初で最後ですけどね。

 ほとんどの旅行というのは、前もって計画し、そして予約すると思います。
 この時の壱岐旅行もそのパターンだったので、旅行の日が近づくにつれ自然とですけど、
 天気予報を積極的に見聞きするようになったわけです。
 雨が降り続けた旅行の話ですから、当然なんですが、願いかなわず、見事に予報が的中してしまったんですよ。
 晴れの予報が雨になったわけではなく、キャンセル代を支払うのがもったいなかっただけなんですけど、
 もしかしたら予報がはずれて、晴れるかもしれないといった淡い期待は当然ありましたけどね。
 まったくもってお見事でした、お天気予報、そして気象予報士さん。

 最初のころの壱岐旅行は、博多埠頭から2時間数十分かかるフェリーで行っていましたが、
 その後は1時間15分ぐらいだったと思いますが、ビーナスで博多と、壱岐を行き来していましたね。
 時間に余裕があって、それなりの人数であれば、フェリーでも楽しみながら行けるとおもいますよ。
 最初のころの壱岐旅行でフェリーを利用した時の話もいずれ掲載したいと思います。

 では、今回の壱岐旅行の話ですが、
 以前に何度か遊びに来ている壱岐ですから、観光スポットは一通り見ていたもので、
 今回の壱岐での目的は海と、食事だったんです。
 宿泊先は、歩いて海に行ける所にあり、
 そこのチェックインは、14時ぐらいからだったとおもいます。
 自分たちは、博多から壱岐に向かう朝1番のビーナスに乗ったのですが、
 そうすると、壱岐には、チェックインの時間よりもかなり早く到着する事になります。

 晴れていれば海で時間を過ごしたりできるのですが、
 予報どうりの雨だったもので、一先ず宿泊先に行く事にしたんです。
 当然ですが、他の旅行者も同様に考えていたようで、
 宿泊先は、チェックイン前の人たちとチェックアウト前の人たちで
 ごちゃごちゃしている状況。
 従業員の方から、大広間に案内され、暫くはぼんやりしていましたね。

 そして、その流れのまま別料金でしたが、そこで早めの昼食をとった記憶があります。
 「お勧めは」と聞いたら、カレーライスとか言っていましたが、
 自分たちは確か、ウニ丼をたべたようなきがします。
 今考えれば夜のためにウニの消費をさけたかったのでしょうね。
 自分は、食べ物に対して、好き嫌いがないわけではないのですが、
 旅行先では、よほどで無い限り、どこでも食べれるメニューは選ばないもので、
 何の躊躇もなくウニを昼食からたっぷり食べてしまいましたね。

 そして昼食後、外を眺めながら、どのように過ごすか話していたら、
 部屋の準備ができたらしく案内される事に。
 部屋で寝転がり、窓の外を眺めながら今ではまったく記憶に残っていない会話をしていると、
 かなり雨が小降りになったようなので、海に行ってみる事にしました。

 初めてでしたね、壱岐の夏の海で誰も泳いでいなかったのは。
 1つのグループだと思いましたが、その10数人は、海岸の上のほうの岩場で
 泳ぐ気配などなく、ビーチパラソルの中で海を眺めていたようでした。
 その後は、自分たちと同じような男の数人組が泳ぎに来たぐらいでしたね。
 このような天気になると、後は夜の食事しか楽しみがなく食事の時間まで部屋でぼんやり過ごす事に。
 この夜の食事の出来事が、この時の壱岐旅行で一番の思い出となっています。
 【その時の話は今から書きますので、数日以内に掲載したいと思います。】
(2008.07.04)

●博多で7月といえば。
●博多祇園山笠がいよいよ開幕ですね。
 この時期に声がかれている営業者と会うと、だいたい山笠の関係者のようですね。
 自分は見物するのが専門なのですけど、山笠に関わるティーバック姿の人たちが、
 唯一、街中をどうどうと歩ける時期だとも言えます。

 不意に思ったのですけど、、
 山笠の時期以外に締め込み姿で博多や天神などをうろちょろしていたら、
 法的に問題となるのでしょうかね。
 また、男とはいえ不特定多数の人に不断は見せない姿をご披露するわけで、
 自信のない人などは、こっそりとお手入れなどしているんですかね。

 威勢のいい男衆の家でのそんな姿は、 あんまり想像したくないですが、
 同じ格好の幼い子供さんが、お父さんに肩車されている姿は、
 いつ見てもかわいらしいですよね。
(2008.07.01)

もどる
バックナンバーリスト
build by HL-imgdiary Ver.1.25